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07 乗車権

「名前嬢!?」

 鏡の放つ白い光に包まれたと思ったら、次の瞬間にはどこか暗い空間でイサンに抱き留められていた。

「あ、え、私、すみません! 戻ります!」

 慌てて振り返ると、鏡は光を失いつつあった。走り寄って手を伸ばすが、伸ばした手はただの物体に戻った鏡面に阻まれてしまう。

「嘘……」

 呆然と鏡を触る。もはやただの鏡となったそれは、唖然とした表情の私の姿を映し返している。

「……いかでこなたに来けりや?」

 背後から聞こえたイサンの声は珍しく少し怒っているように聞こえた。

「えっと、あの、イサンくんが去った後何か鏡の方に突然引っ張られて……」

 肩身が狭い。なんとなく気恥ずかしく、まだ一緒に居たかったと思ったら、の部分は伏せてなんとか弁明すると、小さいため息のあとイサンは私に背を向けてしゃがんだ。この体制は……おんぶをしてくれるのだろうか?

「……足元が危ふきなれば」

 言われた通り、靴下は履いていたがほとんど素足だった。流れで帰宅した状態のまま来てしまったためだ。

「すみません……ありがとうございます」

 失礼します、と声をかけて背に身体を預ける。イサンはゆっくりと立ち上がり、私を抱きあげたままどこかを目指して歩き始めた。


「あの、イサンくん、ここって……」

「鏡ダンジョン、と呼ばるるところなり」

 ここが話に聞いた鏡ダンジョンという場所らしい。イサンが歩いていくにつれいくつかの部屋に出る。どこか広い東洋風の部屋に出たこともあれば、森の中のような場所を通り過ぎたこともある。壁らしきところがぐにゃぐにゃと色を変えていたり、肉のように蠢いたりしている場所もあった。いずれの部屋も決して薄くはない血の匂いがして、足元には元が何だったか分からない、亡骸、だろうものも見えた。なんだか、まるで悪夢のような場所だ、と感じた。

「私たち、どこかへ向かってるんですか?」

「はぐれきとはいへ我が来しは一本道なり。来し道を戻らば定めて皆のがりたどり着かむ」

「なるほど……」


「あれ~、イサンじゃない?」

 しばらく歩き続け、何部屋か通過したところで聞きなれない可愛らしくも華やかな声がした。そちらの方を向くと、豊かな金髪を揺らして長身の女性がこちらに大きく手を振っているところだった。その女性のほかにも数人の人影が見えた。

「どこへ行っていたんだ。隊列を乱すなど、我が……いや、管理人様の率いる隊の一員としてあるまじき行為だ」

 張りのある厳格そうな女性の声。銃剣というのだろうか——を腰に携えた、浅黒い肌に短めの茶髪の妙齢の女性。美しい顔つきは引き締まっていて軍人然としていた。

「その子だあれ? まさかここで見つけたの?」

 先ほどの女性の声。声に見合うセクシーなお顔立ちに、恵まれた体躯は豊満で同じ女性の私も見とれてしまうほどだった。

「うわぁ、ちいさくてかわいらしいですね~。腕もこんなに細くて……迷子でしょうか?」

 温和そうなゆったりした男性の声。長い黒髪を高い位置で結い上げている。一見あどけない少女のようにもみえる雰囲気の顔立ちだ、と思ったが、体格と長身が彼はれっきとした男性だと告げていた。青龍刀のような得物を持ち、どうやらそれを片手で操っているようだった。

 圧倒されていれば、カチカチカチ、と時計の音がした。見れば、首から上が時計にすげ変わっている——赤いコートを着た細身の——恐らく男性、がきょろきょろと困ったような様子で立ち尽くしていた。

「ダンテ、だって気になるじゃない」「管理人様の言う通りです。まずは本人に話を聞くべきでしょう」

 視線がダンテ、と呼ばれた時計頭の男性からイサンに集中するのを感じる。しばらくの逡巡と沈黙の後、イサンはゆっくりと事の経緯を話し始めた。


「じゃあ、この子はイサンの恩人ってこと? まあ、恩人なのはお互いさまみたいだけど」

「名前さんって言うんですね~。僕異世界の人と会ったの初めてです。見た目は僕たちとあんまり変わらないんですね? お会いできてうれしいです!」

「一週間ほどの滞在と言ったな? こちらではお前が姿を消してからさほど時間は経過していない」

<カチカチ>

「はい、管理人様。どうやら時間の流れが違うようですね」

 私を除く皆が各々の反応を見せて頷いている。どうやら皆、ダンテの言葉(?)が分かるようだった。

<カチカチカチ>

「……あなたよりこなたへ戻るべきはすずろに数へらるれど、こなたよりあなたへ次に帰るべき請け合ひはあらず。またかの室にたどり着くべき請け合ひがなければなり」

 イサンが言いづらそうに口を開く。ここは入るたびに形が変わるダンジョンだと聞いている。再び足を踏み入れたときに、あの入り口にたどり着けるかどうかの保証はなかった。そして、たどり着けたとしてその際、鏡の道が再び私の世界につながっているかどうかも……。

 皆の視線を感じる。私の様子を伺っている。私が言葉を発するのを待っている雰囲気だった。

「あの……皆さん折角合流できた……んですよね。私は大丈夫です、しばらく帰れなくても心配する人、いませんし……こうなってしまった以上、なるようになれとしか、といいますか……」「なので、この先のことはお任せします。無責任かもしれませんが、今の私にはどうすることもできなくて……。ごめんなさい」

「謝らなくたっていいよ。なんか不思議な力に引っ張られたんでしょ? 異世界ちゃん、実はすごい力を持ってて、この世界がそれを欲しがってるのかも」

 お金に関することだったらいいな♪と金髪の女性は笑っている。

「どうでしょう、ただの一般人だったので……」

 でも確かに宝くじは当てられたかも。しかしここで言うべきことではないと思ったので口を噤んだ。

「この者もこう言っていることだ。この場の攻略を最優先すべきだと私は提案する」

「一緒に連れていけるってことですか? 僕はホンルって言います。ぜひ向こうのお話聞かせてくださいね~」

 ホンルと名乗った男性は、人懐っこい笑みを浮かべて大きな手を差し出し握手を求めてくる。おぶられているので恐る恐る片手を離してそれに応える。優しい力加減だ——イサンの手を握った時も思ったが、武器をふるっているにしてはどこか柔らかな感触だった。


 その後軽く自己紹介をしてもらった結果、金髪の女性はロージャと、茶髪の女性はウーティスということが分かった。ロージャはもともと人懐っこい質なのか道中も時折話しかけてくれるのだが、ウーティスの言動からは私が足手まといの一般人だと思われていることがひしひしと伝わってくる。全くもってその通りなのでただただ肩身が狭かった。ダンテは道中も何度か私の様子を振り返っていて、気にかけてくれているのだろう、と思った。恐らく、優しい人間なのだろう。声が聞こえないのが残念だ、と思う。ホンルは暇さえあれば質問をしてきて、退屈はしなかったが、度々ウーティスに叱られていた。イサンは……私がこちらに来てから明らかに口数が減っているように感じた。私をおぶってくれているからというのもあるかもしれないが……少し寂しく感じて、なんとなく腕の力を強めた。

 戦闘の際はイサンの背から降ろしてもらって、戦闘指揮をしているらしいダンテの後ろで戦闘の行方を見守っていた。皆身のこなしが美しく洗練されていて、戦う人間なのだということをまざまざと見せつけられた。戦う相手は敵意を持った人間らしき存在のときもあれば、見るからにおぞましい異形のときもあった。しかし皆例外なく赤い血を流していて、辺りが幾度も濃い血の匂いで満たされた。多少なりともそういったものに耐性があってよかった、と思った。

 途中、ムルソーという黒髪を撫でつけた屈強そうな男性の合流があった。元からそういう顔つきなのだろうが険しい表情をしていて、ウーティスとはまた違った近寄りがたい上司のような雰囲気がある、と思った。両腕に金属製の籠手を身に着けていて、体術を得意としているのだろう。ダンテから紹介があった(と思しき)際じっと見下ろされて緊張したが、どうやら必要以上の会話はしない主義のようで特に詮索はされなかった。


 幾度かの戦闘後、ダンテが首(?)を傾げているのに気が付く。

「いがかいたしましたか、管理人様」

 同じく気付いたのだろう、ウーティスがいち早く声をかける。

<カチカチ……>

「あの者たちが? 妙ですね。そういった効果のある戦術を持つ者はいなかったと思いますが」

<……カチカチ>

「……了解致しました。手下ども、帰還だ!」

 何の話をしているかは分からなかったが、これでようやく帰還できるらしい。新鮮な空気を吸いたいな、とぼんやり思った。


「それで、報告は以上ですか、ダンテ」

 くすんだ灰のような黒髪と赤い瞳を持つ壮年の男性——ヴェルギリウスがじっとりとした言い方でダンテの報告を棄却しようとしていた。説明中、視線を向けられただけで大変居心地が悪かった。何か仕事で大きなミスをした時詰められると分かって上司の前に立たされているときを酷くしたような感じで、ここまで威圧感のある人間に私は未だかつて出会ったことがなかった。

 私たちは大きな赤いバス——列車の様にも見えるが——に到着するやいなや、その中で今回の報告という名の事情説明を行うことになった。床に降ろされて、靴下越しに小石の感触がしたが、ヴェルギリウスの放つ気迫にあてられすぐに気にならなくなった。

<カチカチカチ>

「俺は民間人を連れてこいと言った覚えはないんだが」

 大きなため息とともに、ヴェルギリウスの瞳に赤い光が灯る。

<カチカチカチ……>

 これまで聞いたものより早いダンテの秒針の音が、彼の焦りを代弁しているように感じられた。

「……囚人二名の、戦闘時における異変を検知しているようです」「本人たちの話を聞いてみましょうか」

 輝くような銀の髪を持つ儚げな美しい女性が静かなトーンで告げる。彼女の名はファウストだという。聞いてみようと言いながらも、既に全てを知っているような雰囲気だった。

「え~と、僕ですか? 確かに言われてみれば、なんだか調子が良かった気がします!」

「……名前嬢と触れし日より才の向上を感じたり。才の向上はかりそめなるものなれど再度触れのあるたびに向上見らる」

 そうだったのか。驚いてイサンの方を見る。皆の視線が私に集まるのを感じる。

「あぁ! そういえば、握手しましたよね、僕たち!」

 ホンルが無邪気に補足する。

「名前さん、と言いましたね。あなたはそういった——能力をお持ちなのでしょうか」

 ヴェルギリウスの赤い視線もまた私に注がれていた。

「み、身に覚えがないです。イサン——殿の言った内容についても初耳ですし、」

「ハア……自覚がないものをこうして聞いていてもらちが明かないな——失礼」

 嘆息。ヴェルギリウスはエスコートをするような自然な動作で私の手を取る。固まって動けない私をよそに、ヴェルギリウス本人は手を取ったまま何かを思案している様子だった。

「……確かに、力が湧き上がるような感覚がある。引き出されるに近いか……」「……名前さん。あなたの、触れたものの能力を引き出す力……眉唾物ですが、一応は認めましょう。また、うちの囚人を手厚く保護してくださり感謝します」

 手を離され、恭しくお辞儀をされる。自分でも知らない能力を認められて、何が何だか分からなかった。それよりも、囚人、という単語の登場に驚く。

「え、囚人……? それって、イサン殿たちのことですか?」

「……話が十分伝わっていないようだな。すみませんね。どうも説明不足なきらいがありまして」

「物語わづらはくなると思ひて」

 つまり、かいつまんだ説明をしてくれたということだ。元々、イサンが帰ってそれで終わりだったはずの話なのだ。イサンの判断は正しいと思う。


「さて、ここから先は地獄紀行です。民間人のあなたには厳しい道のりになるでしょう。ご希望であればこちらで保護をさせていただきますが、」

「あの、そのことなんですが」

 話を遮る形になって申し訳ないが、ここしかないと思った。自覚はないものの、私には今思わぬ交渉の材料が手に転がり込んできていた。これを利用しない手はない。

「どうか私をバスに乗せていてはくれませんか? もちろん、任務……? のお邪魔はしませんし、私に出来ることであれば協力もします。私の能力についても認めてくれましたよね……私のこと、道中便利なアイテム扱いしていただいて構いませんので、」

 まだ一緒に居たかった、と思ったことがこちらに呼ばれた原因だとするならば、理由は分からないがイサンと離れ離れになっては意味がないと思った。

 ため息。面倒だ、という気持ちを隠すことなく、ヴェルギリウスは眉を寄せた。

「失礼ですが、戦闘のご経験は?」

「ありません……」

「でしょうね。こちらとしては道中、命の保証はできかねますが宜しいですか?」

 恐らく真実だが、脅しだ、と思った。断らせようとしているということはわかっていたが、引くわけにはいかなかった。

「正直、怖いですが……何もしないままただ保護される毎日を送るよりはずっといいです。……例えその過程で死んでしまったとしても」

「……あなたが帰れる目途がつくまで衣食住の保護をしてやるというのにどうしてそう死に急ぐんだ?」

 赤い瞳が一瞬ぎらりと輝いた。恐怖にかられながらも、奥歯を食いしばってなんとか目を逸らさないでいられた。

「……何がそんなにあなたをかき立てるのか全く理解できませんが、そこまで言うのならその命、ありがたく利用させていただくことにします」

 言った手前、衣食の手配はいたしましょう、と付け加えられる。

「話はこれで終わりだ」

 ヴェルギリウスが私たちに背を向けた途端、張りつめていた緊張の糸が切れる。それは皆も同じだったようで、辺りを見渡せば緊張によって凝り固まった体や心を思い思いにほぐしているようだった。


230418 バスに乗る難易度高すぎ問題あると思います