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4_03 R社支部にて

 ドンラン曰く、ここに幻想体はいないらしい。実際その通りで、道なりに進んでいけば技術解放連合の機械たちとの戦闘は起こっても、幻想体はおろかテロリストたちの姿も見えなかった。

 不思議に思っていると、皆に倒された機械たちのうちの一体が声を再生し始める。この声は、研究室に侵入していたリーダー格と思しき二人のうちの、女性の方の声だった。声は、気の抜ける前置きと共に一方的にこちらを罵倒する。困惑しながら見ていると、機械は突然白熱し膨張し、そして爆発した。近付いたグレゴールが危うく巻き込まれるところだったが、とっさのヒースクリフの行動によって事なきを得る。

 次に遭遇した集団の機械もまた、同じようにアナウンスを行った後爆発する。二度も同じことが起これば、ここにはびこる機械たちが皆そのように作られているのは明白だった。


 ホンルの疑問から、技術解放連合のことについてが話題にのぼる。サムジョ曰く、主要メンバーのうちに、元K社の研究員がいるらしいということだった。しかも(ドンランと同じように)最優秀職員賞を授与されたことのある——。


 なんだかすっきりしないままに、順調に私たちは最奥前の廊下にたどり着く。だが最奥への到着を阻むようにそこに立っていたのは、技術解放連合の——機械から流れたアナウンスの声の持ち主であり、先ほど話題にも上がっていた人物だった。

 ドンランが、彼女のことをラン先輩と呼ぶ。その呼び名に嫌な顔を見せた彼女曰く、他のメンバーはすでに皆逃げており、自分は時間稼ぎをしているのだという。ヒースクリフの言う通り、多勢に無勢ではあるが……ランの持つ余裕が気になった。おしゃべりをして時間稼ぎをするにしても、彼女のこの先の行く末は決まっている。それなのに、まるでそうじゃないと、自分は逃げることができると確信しているような——。


「あ〜もうお遊びも飽きた」

 そうやって捨て台詞を吐いた彼女の一挙動ののち、鼓膜が割れそうな音と共に建物が爆発する。

 私はダンテとともに後方にいたとはいえ、こちらまで爆風は届いていた。結果として前方にいた皆が盾になってくれたようだ。さらに念のため構えていたシールドによって致命的な一撃は避けられたが、痛いものは痛い。

 辺りを見渡せば、より後方にいたシュレンヌたちとフィクサーの一団は概ね無事なようだった。逆に言えば、より前方にいた皆はほとんど満身創痍に——そして特に、ドンキホーテとムルソーの二人は骨が露出するほどの大怪我を負っていた。

 K社の人々がダンテの能力について好き勝手に言っている。復活に伴い、ダンテが皆の負った痛みと同じ痛みを背負うことを知らないのだろう。いや、知っていたとして、恩恵に比べればその痛み程度と思っているのだろうか? アンプルを打てば、誰も苦しまず、もっと楽になるはずなのに……いや、アンプルの効果対費用について正確に推し量ることのできない私にそれを判断することはできないのかもしれないけれど。

 ドンキホーテを気遣う苦しそうなヒースクリフの声の後、頷いたダンテによって時計が回される。

 そうこうしているうちにいつの間にか、ランの姿は見えなくなっていた。


 ……ここに裏切者がいる。ウーティスとムルソーが下した判断だった。

 到着したときにはすでに退避していた技術解放連合たち。私たちが出発していた時には情報が漏れていたのだとムルソーは言う。

 私たちの視線は自然と、K社所属の人員の方へ向けられる。反論するサムジョとは対照的に、ドンランはこちら側の意見に同意した。


 バラのスパナ工房のフィクサーたちも少なからず負傷している。それなのに、ここに入ってから、彼らが再生アンプルを一度も使用していないことをウーティスが指摘した。ムルソーもまた、ランとの対面時の彼らの不自然な後退をとりあげる。
 思わず二人の観察眼に感嘆してしまう。推理ものの物語の現場に居合わせたような気持ちで話の動向を固唾をのんで見守る。

 爆発することを事前に知っていたかのような動きに、疑いの眼差しは代表のニコへと向けられる。彼はやや苦しい反論を持って私たちに相対する。ドンランの取り出してきた怪しげな真実の薬とやらに怪訝そうな表情を見せる彼の気持ちは分からないでもなかったが、ドンランの言う通り、疑惑をかけられている真っ只中にしてはそれを晴らそうとする姿勢がみられないのが不気味だった。

 ドンランの意地の悪い言い回しによる追及についにニコが武器を取り出し、本格的に対立の構図になる。どこか楽しそうに、ヒースクリフはその様を揶揄った。


 戦闘は数の上では彼らの方が上回っていたが、精神的に有利をとり、また死してもなお蘇るこちら側の方が軍団としては優勢だった。

 追い詰められた末、工房の助手が自白する。ここに入ったら絶対に再生アンプルだけは使用するなとシュレンヌに言われた、と。その自白は、裏切り者が誰であるかの答えでもあった。

 だがどうしてシュレンヌはそんなことを? 私たちの疑問に、ドンランは行動でその答えを示して見せた。その問題の再生アンプルを、今しがた自白した工房の助手に向けて放ったのだ。

「ど、ドンランさん……!?」

 驚いて彼の方を見れば、まあ様子を見てみましょうとでも言うように笑みを浮かべ、助手の方を顎先で指し示した。
 慌てた様子の助手はアンプルを引き抜くも、液体はすでに全て注入されてしまっていたようだ。みるみるうちに彼の腕と足が変な方に折り曲がり——。

「わ、わ……」

 人の形をあっという間に手放し、筆舌しがたい何かになってしまった。

「この辺にしておきましょう」

 シュレンヌが諦めたように口を挟む。ニコもまた、こうなると分かっていれば、と覚悟を決めたように軽いジョークを口にする。

 こうなってしまっては、残るフィクサーたちは戦いで黙らせるしかなかった。退路がない相手は死に物狂いで立ち向かってくる。戦いは、フィクサーたち全員の息の根を止めるまで続いた。


 ……ニコたちとの戦闘を終え、ついにシュレンヌが矢面に立たされる。向こうの詳しい事情は分からないが、サムジョは長い付き合いだと言っていた。聞きたいことはたくさんあるだろう。

 シュレンヌはゆっくりと口を開く。

「涙が止まらないから。あんたならどういう意味か分かるよね。私……」

 ……その先を彼女が口にすることはなかった。細く長く赤い線が彼女の身体に引かれたと思うと、彼女の身体は——私たちの目の前で綺麗に二つに分かたれた。倒れこんだ彼女の遺体を直視してしまう。脳はおろか、頭蓋骨まで鋭利な断面で真っ二つに切り離されていた。再生アンプルではもう手の施しようがないのだと、一目で分かってしまう。


「はっ、はは……黙って動作禁止。息も吸うな」

 良秀だけが、壁の向こうからシュレンヌを一刀両断にした何者かの気配を察知していた。シ協会。都市で暗殺依頼のみを専門に受けるフィクサー……イシュメールはそう説明をしてくれた。

 言われた通り息を殺しているうちに、気配はどこかへ消えていったようだ。やはりそのことも、良秀のみが感知していた。


 内部分裂。ドンランがどこか寂しげにダンテに向け語る。サムジョとは対照的に、彼女と同期のはずのドンランはシュレンヌの裏切りにさほどショックを受けている様子ではなかった。彼にとって内部分裂は一種の連鎖だという。まるでそれが当然あるものとして、はるか昔から受け入れていたかのような……そんな気がした。


 シュレンヌが床に落としたアンプルを拾い静かに調べているイサンの姿が目に入る。

「……同じなり」

 イサンは、そのアンプルに書かれた番号が、研究室でイシュメールが打たれた崩壊アンプルのものと同じ規格の番号であることを指摘する。サムジョ曰く、その番号はシリアルナンバーで、前の桁が0ならオリジナルなのだそうだが、アンプルに記されていたのはまさにそのオリジナルだったようだ。

「オリジナル……イシュメール嬢に注入されし「崩壊アンプル」もまた……その本質は再生アンプルと違わざるものなり」

「この再生アンプルはなんというか……生成されてない原液なんですよね。大衆的な再生アンプルとはちょっと違います」

 そう言って、ドンランが手を差し伸べる。イサンはドンランを見つめたまま動かなかった。イサンは何を考えているんだろう。同じ疑問をドンランは口にした。イサンの答えは、「何も」で。

 相対する二人の会話が続く。やはり昔からのなにか因縁があるのだろう。ドンランは自らのことを”久々に再会した昔の朋”と表現した。

 イサンの友人の話は、向こうの世界で聞かせてもらったことがあった。それについて話してくれたときのイサンはどこか郷愁を帯びた顔をしていて、今彼は自分の宝物について……彼にとっての大切なものについて話してくれているのだ、と思った記憶がある。
 しかしドンランに向けてイサンは、傍らに残った友人は既にいないと言う。

 二人の間に何かがあったのは明白だった。だが、それがなにかは私たちには分からなかった。


 明るい声色が挟まる。ドンキホーテだ。曰く、イサンはこれ以前にも別の”友人”と対面していたようだ。
 それを聞いてドンランの表情から一瞬笑みが失われる。驚き? 悲しみ? 寂しさ? それは、代わりに表出した感情がなんだったかわからないくらいの一瞬で——次の瞬間にはもう彼の表情は元の笑みの形に塗り替えられていた。


「でも残念。もう一人残っているみたいだけど」

 ドンランの言葉に首を傾げる。

「シュレンヌの密告で、組織員たちはこの建物から既に全員抜け出したと思ったけど……そうじゃなかったみたいですね。」


 花の香りが辺りに満ちる。窒息しそうなほど濃密な香りは、黄金に眩しく輝く枝と、古びた一枚の白黒写真を手にその姿を私たちの前にあらわした。

 彼女もまたイサン達の古い友人の一人なのだろう。ドンランは警戒する様子もなく、「写真、返してくれないか? あまりそう見えないかもしれないけど、大切にしてたものだから」とこれまでの調子で言いながら彼女に近づこうとする。当然、サムジョはそれを阻止しようと声を荒らげた。ウーティスもまた、前に出ないよう皆に忠告の声を上げる。

 各々の喚く声が、言葉が、空間に反響する。黄金の枝を手に、気に留めるでもなく彼女はゆっくりと歩いてくる。向かった先は——


「イサンくん!」

 彼女の握る枝は、あろうことかイサンの胸元に突き刺され、イサンの身体は地に沈みこむ。

 破裂するように、眩しい光が辺りを覆う。真っ白になった視界に彼女の声が響く。写真を返してあげるだとかそういう内容だったと思う。ただ、イサンの倒れた姿でいっぱいの頭ではよく理解できなかった。視界が戻った頃には、既に彼女の姿はなく。あわててダンテが時計を回し、私もまた彼と共にイサンのもとへ駆け寄った。


「そうか……今度もたがわず時間を回しけりや」

 虚空を見つめながら、イサンは静かにそれだけをこぼす。


 彼女——ドンベクは、”誰か”が自分の目の前で——恐らくはイサンを——選んだと言っていた。あれは黄金の枝のことだったのだろうか。

 ドンランを刺すつもりで待ち構えていたドンベクは結果的にイサンを刺した。

「結果的には良かったです。命を狙って刺した攻撃でしたね」

「なっ……。なにがだ……うちの仲間が代わりに死んで生き返ったっていうのに、良かったなんてよく言えるな……」

 ……サムジョの発言にショックを受けている間に、グレゴールが声を荒らげてくれる。二人の問答を聞きながら、私からも思わず言葉が口からあふれてくる。

「……生き返ったからいいって言うんですか? だから、良かったなんて……だからってそんな言い方って、ないじゃないですか……」

「よきなり。痛みは一握りもあらず。なればやめたまえ」

 制止の声を上げたのは、他でもない渦中のイサン本人だった。

「もう痛くないからって、そんなのよくないですよ……だって、生き返ったって、イサンくんは確かに一度、」

「名前嬢」

 もういいと言われている気がして、口をつぐむ。……だって、生き返ったって、イサンが確かに一度死んでしまったという事実は消えたりしないのに。


 ダンテがイサンに何事か声をかけたようだった。イサンはゆっくり、言葉を口にする。

 自分がかつて九人会という団体に身をおいていたこと。そこでドンランたちが共にあったこと。しかしある日分解し、散り散りになり、それぞれが行くべき道へ別れていった。ただそれだけだと。

「ただの瞬間なり。瞬間であるがゆえにと形容するが、げに合いけり」

 イサンはそう言うが、そうだと切り捨てるには、彼らのことを語ってくれたときのイサンの表情は雄弁すぎた。切り捨てているのならば、あまりに切なかった。自分にとって何より大切な思い出の日々をただの一瞬だと振り返ってしまうなんて、そんな哀しいことって、ない。


 言葉はわからずとも、ダンテがイサンを心配しているのが伝わってくる。

「……そなた、今日に限って私に関心多し。さほど嬉しくはあらねど……そなたがいつもと相違なるがゆえに、返事はせん」

 ダンテが何を聞いたのかは分からなかったが、共にイサンの答えを待つ。

「あへて選ばば、日ごろ一番嬉しかりし時は……朗術会をせし時。一番絶望せし瞬間は……」

「そなたに初めて会いし、あの森。その場所で、絶えたと信じて疑わざりし命の再生されし瞬間。かくて今なり。移ろわず、再生は常々全きこと悟る今」

「いかがなり、答えになりき?」

 それって……。思わずダンテを見る。その表情を窺い知ることはもちろんできなかったが、なんとなく沈黙しているのだろう、と思った。

 イサンはゆっくりと立ち上がって何事もなかったように皆のもとへ歩き出す。思わず追いかけるが、今彼にかけるべき言葉は見つからなかった。


230616 つらすぎる