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4_04 再びK社へ~E.G.O

 サムジョの持つ電話機からけたたましい振動音が鳴り響く。先ほどより数も勢いも増したテロリストたちに研究所が再び襲撃されているようだ。

 ここまでの道中、幻想体に出会うことはなかった。正確には皆卵になっており無力化されていたのだ。詳細は不明だが、幻想体を卵に戻す技術を持っているならばそれ以上の技術を持っている可能性は大いにある。ファウストの言葉に不吉なものを感じながら、私たちは急いで研究所へと戻ることになるのだった。


 到着早々、青い顔をした職員たちに囲まれドンランとサムジョが連れていかれてしまった。手持ち無沙汰に突っ立っていると、ドンキホーテがどこかに向かってせかせかと歩いていくのが見える。

「おほぉ、ここに収まっている本たちは何でありましょう? 絵がキラキラしておりまする!」

 鼻歌を歌いながらドンキホーテは一冊の本を引き抜く。

「絵本……?」

 表紙には、柔らかなタッチで星空が描かれていた。ダンテが覗き見、イサンもまたそちらへと視線を向ける。ドンキホーテによって本は開かれ、辺りに黄金色の霧が広がった。


 ——昔々、皆地上を眺めて暮らしていた時代。空を眺め、星々を繋ぎ名前を与え物語を紡いでいたものがいた。ある日彼の家族が重い病気にかかり、いつものように空に向かいその悲しみについての物語を紡いだところ……空から雫が落ちてくる。見上げればそこには、彼が名付けた星座が輝いていた。

「我に名前をつけ、物語を作ってくれた者よ。我はお前を通じて地上に投げ出され、時間に押し流され、世界を感じることができたのだよ」

「星は元来願い事をかなえてやれるということは、知っているか?」

「我の落とす涙が、お前の痛みを洗い流すであろう」

 そうして世界には、一日と半日の間、雨が降り注いだ。その雨に打たれた者たちは、皆洗い流したように病が治り、彼の家族もまた健康を取り戻した。こうしてその家族たち、都市の人々は夜になるたび、共に空を見ながら幸せについての物語を語り続けたという——。


「そういうことだったんですね。K社の固有文化のうちの一つが毎年特定の月の夜に雨が降ったら、人々が傘を差さずに雨に打たれることって聞いたんですけど……」

 私を含め、皆が初耳という顔でイシュメールの話を聞いていると、またですか? と驚いた様子で彼女は皆を見渡した。K社の巣と裏路地を旅行する人のための案内書。確かに以前、私にも手渡されたが……。

「すみません……。ぱらぱらと見てみたんですがこちらの文字、読めないみたいで……」

 こちらに来てから困っていた事柄のなかに、文字が読めない問題があった。なかには慣れ親しんだ文字に似ていてなんとなく意味を理解できるものもあったが、多くの文字列は未だその意味を汲むことができないでいた。

「ああ……名前さん、言ってくだされば良かったのに。これからはそういうことは早めに教えてください。それで無知でない人間が一人でも増えるならいくらでも読み聞かせますから」

 納得したように頷くと、イシュメールはそう声をかけてくれる。ありがたい話だ。なんだか申し訳なくなって、再びすみません……と頭を下げるとイシュメールは首を横に振って、変に遠慮されて情報が共有されないよりいいですから、と頷いてくれた。


「ところでこの話……再生アンプルとも脈絡が似てませんか? 雨に打たれたら、洗い流されたように健康になるって話……」

 シンクレアがおずおずと話を切り出した。確かに無関係とは思えない。雨に関する行動がK社の固有文化にもなっていることもまたこの物語との関連性を感じさせた。

 私の世界でも企業が物語を通して子どもたちに分かりやすく自社製品の説明をすることがあった。しかし、この物語についてはK社がそのために作ったものというより、昔から語り継がれているもののような気がした。
 ……実のところどうなのかは分からないが、ドンランたちに聞いてみたら分かるだろうか。


 ダンテに話を振られたらしいファウストが、こういった星や雲の観測と解釈の領域はイサンの方がより詳しいかもしれない、と口にした。視線が自然とイサンに向く。彼は何事か考えているようだったが、その沈黙は舞い戻ったドンランによって破られた。

「早く登った方が良いと思います。状況がかなり深刻そうですし」
「今回は研究室だけじゃなくて、実験室にまで侵入したようです」

 それにしてはここは平和すぎる、逃げる者がいないではないか? とドンキホーテが声を上げる。サムジョ曰く、退避命令自体は下されているが、既に退避を一度行っておりこれ以上は週70時間勤務制度とやらに支障が出る可能性があるためこうなっていると思われるとの話だった。
 週70時間勤務? 全くブラック企業もびっくりだろう。この世界はこんな大企業に勤めていても過酷なんだな、と他人事のようにそう思った。


 どうして誰にも気付かれずに襲撃が行えているのか。ウーティスの鋭い口調にも臆せず、ドンランは登りながら説明する、と踵を返して階段に向かおうとしたが、それを止める声があった。良秀だった。

「異議。俺たちが一緒に登るべき理由を一つだけ挙げてみろ」

「うむ。契約条件は完遂した」

 ムルソーも同意する。
 ……そういえばそうだ、危うく流されるところだった。皆こういう時も冷静ですごい、と思う。

「そうです。でも黄金の枝を差し上げようにも、目の前で奪われてしまったじゃないですか」

 取り乱すこともなく、ドンランはなんでもないように返答した。確かにそれはそうなのだが。

 契約書の内容を心配するロージャに、サムジョは饒舌に契約について語っていたあの姿はどこへやら、法律には疎くて……と忙しく眼鏡を拭き始めている。誤魔化すにしてももっとあるだろう。

 いらだちを隠さない良秀の脅し(脅しじゃなくて多分本気だ……)もむなしく、私たちは急かされるようにして階段を昇ることになる。


 昇った先、漂う静寂が記憶に新しい廊下は今や、悲鳴と逃げる人々が入り混じる阿鼻叫喚の様相となっていた。満身創痍の研究員が一人、解放連合の人間と思われる者の前ですすり泣きながら懇願しているのが見える。

「手をかしてください……ドンランさん……たすけてください……」

 ドンランが交渉を行うも、情報は必要ないと跳ねのけられてしまう。ヒースクリフが指摘した通り、解放連合員は見たところ丸腰で、以前の襲撃で見たロボットたちを引き連れてはいなかった。

 そうこうしているうちにK社の社員たちが到着する。イシュメールの言うように、人数はこちらのほうが遥かに優勢だが……。

「ランさまの主要分野は機械強奪でした。戦闘よりかは「ハッキング」特化型でいらっしゃいました」

 不穏な言葉の後、私たちはすぐにその意味を理解することになる。

 赤い光を携えた再生ドローンが辺りを浮遊し始め、無機質にアナウンスをする。——戦線離脱者発生時、崩壊アンプルを注入——そして続いて告げられたのは、5秒以内に敵に何の攻撃も与えなければ崩壊アンプルを注入するというものだった。

「クソッ……どうしようもない……」

 焦った様子のK社社員によって振り上げられた一撃を、ムルソーがその手甲で受け止める。ドローンのアナウンスが意味する敵とは、ほかならぬ私たちのことだ。

「なぜだ!」

「当然……崩壊アンプルを打たれたくないから。俺は生きたいんだ……」

 ドンキホーテの疑問に、職員は震える声でそう答える。

「彼らもまた、自分と我々の命を天秤に掛けている者です。戦闘を許可してください」

 ウーティスの冷静な声がダンテの決断を促す。……囚人たちが構える。戦闘が避けられないのは明らかだった。


 命を質にとられやむなく襲い来たK社社員たちをいなして、囚人たちは技術解放連合員に向き直る。逃げ出すことすらせず、彼はそこに立ち続けていた。

「だから今度はロボトミー支部からちょっと毛並みの違うものを持ってきました」

 ヒースクリフの挑発を気にも留めず、彼は上着を脱ぎ去ると、その下から異様な雰囲気を放つ衣服があらわれる。黄色の札がべたべたと貼られた、いかにも古びた衣装だったが……。

「E.G.O……?」

 誰かの呟く声が耳に届く。E.G.Oといえば、戦闘時囚人たちが使用する、なんだか不思議な力……というように私は認識している。E.G.O使用時には皆の姿が変化するのだが、それは人格による変化とはまた違っていて……時には面影をほとんど残さない、全くの異形と化すこともある。変身、あるいは変貌といった方がしっくりくるかもしれない。

 使用の際には精神力を使うようで、状態によっては暴走して敵味方識別できなくなる場合もあるようだった。傍目から見ていると、E.G.Oによる攻撃はどこか感情の発露のようにも感じられる。詳細はわからないが、特定の性質を具現化したような……実際E.G.Oによる攻撃には、通常の攻撃にはない様々な特殊効果があるようだった。


 息つく暇もなく戦闘が始まる。見守っていると、連合員たちはそれぞれ身にまとった衣装に見合った特殊な能力を扱えているようだった。E.G.Oを発現したときの状態によく似ている、と思う。それでいて、囚人たちの使用時のような制限時間の枷はなさそうだ。

 動揺するグレゴールとロージャの声が耳に届く。グレゴール曰く、やはりE.G.Oの使用には精神を酷使するようで、精神が”飛んでいかないように掴んでいる”必要があるらしい。そしてそれは”めちゃくちゃ疲れる”のだという。目の前の連合員たちにはそんな様子は見受けられない。ロージャも、研究員出身である彼らが自分たちよりE.G.Oを上手く扱えているなんて、と信じられない様子で声を上げている。

 そんななか、ファウストがひとつの可能性を示唆した。彼らが幻想体を卵の形態で修復し、かつてE.G.Oを取り扱っていたロボトミーコーポレーションのように、E.G.Oを発現する方法を見つけ。黄金の枝の力を使って、侵蝕に対する訓練や条件に関する研究を繰り返していたとすれば。短期間ではあるものの侵蝕の影響を受けずにE.G.Oを使うことができるだろう、と。

「あの者達が使用するものはE.G.Oでありながら、圧縮し押さえつけながら汎用性を持つように加工した道具でもありますからね」

 かつてロボトミー社では、フィクサーではない大多数の一般職員がE.G.Oを使用していたという。しかしそれは精製されたものであり、囚人たちの使用するE.G.Oはどうもそうではないらしい……難しい話でよく分からないところもあったが、連合員たちがE.G.Oの力をうまく取り扱えているように見えるのは、彼らがはじめからE.G.Oを”加工・精製された、汎用性を持つ”形として武器や衣装を身にまとっているのが関係しているようだ。


 そして、黄金の枝の持つ力——クリフォト抑止力、を使用しているということは。どうやらこの近くに、黄金の枝を持つ者……ドンベクと名乗った先刻の彼女もいるのだろうと推測される。

 ウーティスがセキュリティについて苦言を呈する。テロリストの大将首が未だ誰にも発見されず、会社内部を堂々と歩き回っているのだ。流石にサムジョも反論しきれない様子で苦い顔をする。ドンラン曰く、技術解放連合はそれなりに名のある会社を退職した研究員で構成された団体らしい。すなわち、それなりに精鋭のエリート達ということだろう。


 賢い悪人という概念(実際、この二つの項目は両立すると思う……)に混乱するドンキホーテに、サムジョはそんなに賢いならマトモに働いていた会社を辞めてこんなテロ組織に加わったりしないでしょう、と言うが……。

「望んでいた人生とは違ってたかもしれないじゃないですか」

 ……イシュメールの静かな呟きが、なぜだかいやに耳に残った。



231124 文字に関して、現実の国名を出すのもなんだか野暮かと思い、我々プレイヤーには実在の言語に見えているけれど、その世界視点ではどこか面影はあれどその世界特有の文字に見えている……ようなイメージで表現してみました。読めないとみんなから文字を教えてもらう機会が生まれて……(趣味)。
同じように、名前さんにはみんなが日本語を話しているように聞こえているけれど、会話の意味が不思議と日本語として理解できているだけで、本人たちは日本語で喋っているわけではないイメージです。こっちはご都合主義ということで……。
イサンくんの言葉遣いに関しても、頭のいい人らしい(でも能力が高すぎるせいで処理に時間がかかって他人用に噛み砕いて再構築するところまでエネルギーがまわっていない)普通の人間には理解が難しい話をしている表現の一種だと思っているんですが、本国版ではどういうニュアンスなんでしょうか……