鑑
4_01 K社へ
今回は依頼人がいるとのことだった。黄金の枝——イサン達が回収をその任としている存在——の所有権を取引材料に依頼を持ち掛けてきた、らしいのだが……。
黄金の枝とは? こちらの世界についてイサンからの説明を受けたときに名前が挙がっただけで、私もそれがどんな代物なのか詳しくは知らなかった。静かに疑問に思っていると、どうやら代わりにダンテが質問をしてくれたみたいだ。ファウスト曰く黄金の枝の使い道について聞いたようだったが、ヴェルギリウスが始めた説明はまるで子どもに向けた説明で、なんの答えにもなっていなかった。文字通り、それが黄金に光る枝だということは分かったが。
「ヴェル、道がふさがってる。戻らなきゃダメ?」
突然、巣のど真ん中で行き止まり? 不思議に思っていると、バス内の静寂を破るように、窓ガラスに何か大きいものが当たる鈍い音がした。反射でそちらを見たが、その時にはすでにもう何も見えなかった。
「……今バスにぶつかって飛んでったの……人間だったよね?」
呟かれたロージャの言葉に背筋に寒いものが走る。そんなことが? 巣のど真ん中で? よく見えなくてよかったのかもしれない。
「40代前半に見える男性。後頭部に大きな損傷を負ったようだ。ぶつかる前から死んでいた」
あの一瞬でそんなことまで? ムルソーの淡々とした解説に驚きながら、死という言葉に頭が冷える心地がした。
全員降りろと言うヴェルギリウスの言葉に、表情がこわばるのを感じながら大盾を握りしめたが、当のヴェルギリウスは私に向け首を横に振る。
「行って何かできるとでも? 死体をひとつ運ぶ手間が増えるだけでしょう。あなたはここで待機をお願いします」
それはそうなのだが……やはりヴェルギリウスは一言も二言も多いと思う。しかし、正直なところどこか安堵している自分がいた。現場で私に出来ることは何もないだろう。ここで待機して生き残ることで、この先少しでも長く皆の役に立てたらいい、と思った。
ヴェルギリウスを真似たロージャの「全員下車。」の声に、ヴェルギリウスは大きなため息をつく。……結構、特徴を捉えていると思う。
「期待で胸が膨らみますね、今度はどんな冒険が僕たちを待ち受けているんでしょうか?」
にこにこと声をあげるホンルの笑顔には緊張というものは微塵も感じられなかった。恐らく、本心から言っているのだろう。いまだ青ざめたままの私に「名前さん、お土産話待っててくださいね〜」とその笑顔のまま、いつものようにふんわりと両手で手を握ってくるホンル。
「が、がんばってください」
そう、頷いて声をかけることしかできなかった。
「さて」
希望する囚人たちに接触を——手を握ったり、ハイタッチなどを交わしたり——して、皆を見送った後。バス内にはカロンと私と、そしてヴェルギリウスの三人だけが残った。前のチキン屋での騒動では一緒に下車していた流れで皆と行動していたから、こうしてヴェルギリウスたちと残されるのは初めてかもしれない。
「名前さん。あなたが一行に加わってから少なからぬ戦闘効率の上昇を示すデータがでています。今後もご協力をよろしくお願いします」
「あ、はい……良かったです……」
一切表情を変えずに感謝の意を述べるヴェルギリウスに、ぎこちなくぺこり、と頭を下げる。この能力について感謝されるのは、自覚のない能力ゆえどうにも実感がなかった。役に立てているのならそれでいいのだが……。
「……はあ。ご存じの通り、しばらく時間をつぶす必要がありますので。……事の詳細はイサンから聞いたが……あなたの口から直接聞いてはいない。この機に話してもらっても?」
……いつかは聞かれると思っていた。隠し事をしても無駄だろう……。覚悟を決めて、手近な席に座る。たどたどしくでもなるべく正確に、正直に、話そう。そう思った。……イサンともっと一緒に居たいと思った部分、以外は。
「ふむ……。途中、無駄な感想が多かったが……概ね理解しました。イサンの説明とも矛盾しない。不可抗力でこちら側にやってきたということでしたね」
頷く。嘘は言っていない。不可抗力だったのも間違いなかった。挟まった”無駄な感想”については……正直に話した結果なので許してほしい、と思った。
「随分とそちらは平和だったようですね。道理で、あなたのような人間がこれまで無事に生きてこられたわけだ」
「だがこちらは違う。皆貪欲に、多くがただ生き残るために生きている……あなたのような人間は多くは食い物にされ野垂れ死ぬ世界だ。以前の世界でいたような甘い考えは改めるように。これから先、生き残りたければ——決して油断なきよう。よくよく胸に刻んでおいてください」
ちくちく。圧と共にゆっくりと諭され、息が詰まるどころかぎりぎりと首を絞められている感じさえした。とはいえ、彼の言うことはその通りで、これは忠告をしてくれているのだ。彼なりの親切、なんだと思うことにする。
「あ、ありがとうございます……肝に銘じておきます」
「おにく。カロン、おにくもすき」
るんるん、という効果音が聞こえてきそうな声色が挟まる。フロントガラスの向こう側を退屈そうに眺めていたと思ったのだが、どうやら私の話を一緒に聞いてくれていたようだ。
「焼き肉の話か? ……また今度な」
やはり、ヴェルギリウスのカロンに対する態度は特別やわらかいと思う。(主にヴェルギリウスがいつも)詳しく聞けるような雰囲気ではなかったが、きっと二人の間にはなにかしら事情があるのだろう。
このバスに乗り合わせている皆、事情は誰しもにあるようだった。
おそらくは一際善良な人間の心を持ちながら虫の腕を携えたグレゴール。明るく人懐こい——場合によっては軽い、と表現されることもあるだろうが——ムードメーカーのロージャ。まだ若く不安定な一面を覗かせながらも他の面々に交じり戦場に立っているシンクレア。……そして、皆の間にあってはほとんど何も黙して語らないイサン。
ここに乗り合わせた12人全員、その誰もが囚人と呼ばれている。時計頭のダンテを含めれば13人……それぞれの事情がある。もちろん、私にも。
むやみに立ち入るものではない、とこれまでの経験が告げていた。特に、部外者である私が気軽に叩いていい扉ではないだろう。いつかその時が来るまで。本人によって語られるか、何かの拍子に明かされるか……それは分からなかったが、その時を待とう。そう思った。
私にもいつかその時が来るのだろうか? 今更語るべき秘密などなにもないようなものだったが、強いて言えば、恥ずかしいので伏せたこちらに来るきっかけがそうだった。イサンともっと一緒に居られたら。
……そういえば、私はどうしてあの時そう思ったのだろう? 恐らくそれがきっかけとなった以上、少し気に留めておいた方が良い気がした。どうしてか自然にそう思った、というのが正直なところだったが……ええと、あまり考えると気恥ずかしくなりそうだ。
考え始めたところで、ざわざわとバスの周りが騒がしくなった。皆が帰ってきたようだ。少し助かったような心地になって、席を譲るため、そして皆を出迎えるために立ち上がる。
「カロン」
ヴェルギリウスがカロンに向け声をかける。
ゆっくりと、バスの扉は開かれていった。
「予想より遅かったな」
久々に昼寝というものをしようと思ってた最中だったんだがな、とヴェルギリウスが囚人たちに声をかける。私の話はさぞかし退屈だっただろうがそんなことを思っていたのか。確かに、私は話をするのは上手な方ではないという自覚は……ある。まあヴェルギリウスの言い回しは、深い意味があるようでない(と思う)いつもの全方面への棘たっぷりのただの皮肉なんだろうけれど。
ダンテの説明……を、ファウストが説明してくれた。どうやら外では大変なことが起こっていたらしい。巣の真ん中で暴れていたのは、通常、ダンジョンとロボトミー支社内でしかお目にかかれないらしい”幻想体”だったというのだから。
幻想体について全てが判明しているわけではないらしい。詳しい調査は本部に任せるというのがヴェルギリウスたちの結論だった。
「名前さん」
ふいに、ファウストから声を掛けられる。
「今回の依頼ですが、依頼人はあなたの同行を求めています」
「え、どうして……」
急な白羽の矢に動揺する。つい先日まで一介の一般人だった、なんなら今もただのお荷物である私を?
「名前さん、いつの間に有名人になったんだ? ……なわけないよな? その依頼人は、名前さんの存在を知ってるってことか?」
グレゴールが真剣な面持ちで訊ねてくれる。
「存在についてはまだしも、名前さんの能力については秘匿情報のはずでした。しかし既にその一端についても先方に知られている可能性があります」
「あなたの能力は直接の物理的接触をトリガーとした発現でしたね。これから先、私たち以外の人間との物理的接触は出来るだけ避けるようにしてください」
「ええと、それって」
「握手を求められても応じないでください」
「は、はい」
分かりやすい例だ。具体的な場面を想像出来てしまい、緊張で姿勢を正した。
私の情報、秘匿されていたんだ。考えてみれば、敵? に利用されたりとかいうことも可能性としてはあるだろうと今更思い至り、己の想像力の至らなさを恥じた。確かに、知られないのに越したことはない。
今回の依頼とやらも、引き続きバスで待機することになるのだろうと思って油断していたので、途端に胃のあたりが締め付けられるような感じがした。うまくやれるだろうか? いや、うまくやらなくてはならないのだろう。皆の足を引っ張ることだけはしたくない。
「わあ! ということは、ご一緒できるんですね! そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。楽しみましょう〜」
横からホンルの柔らかな声が振ってきて、ありがたく思うと同時に、彼のふわふわとしてそれでいて強かそうな精神のあり方がただひたすら羨ましい、と思った。
そうして私たちがたどり着いた先は、超、超超超高層ビルといった風体の巨大な建物だった。これが、K社。この巣を抱く大いなる翼。建物の要所要所にスタイリッシュに引かれた蛍光のエメラルドのラインがまぶしく輝いていた。
扉をくぐって、しばし。私たちの前に現れたのは、チキン屋騒動で出会ったサムジョというスーツ姿の男性だった。
その顔を見た途端、「抜ける」と言って列を外れようとするヒースクリフをダンテがなにやら必死に縫い留めていた。
「離せ! 生鶏どもなんかとタンゴ踊る悪夢を見る気分がテメェに分かるか? あ”ぁん?」
……そんな夢見てたのか。その様子を想像して、少し同情してしまった。
そうこうしているうちに、新たに白衣を身にまとった落ち着いた雰囲気の眼鏡をかけた男性が現れる。ドンランと名乗った彼は、様子を見るになんだか一筋縄ではいかないような感じがした。意味深なところで言葉を切ったりだとか、思わせぶりなところだとか。
そのうち、ダンテが声をかけられて、ファウストが遮る間もなくドンランとサムジョたちに連れていかれてしまった。ダンテは囚人以外とは言葉が通じないらしいのに、どう話をするつもりなのだろう。
「……間に合いませんでしたね。名前さん。先ほどの話は覚えていますか?」
流石に覚えている。私たち以外の人間との接触を控える、ということだったはずだ。頷くと、「気を付けてくださいね」と囁くような小声で念を押される。
ということは、私の情報の一端はすでに彼らに知られているということだろう。サムジョとはチキン屋の前で会ったくらいの面識だった。特にこれといって会話を交わした覚えもなかったが、何かよくない場面でも見られていたのだろうか? 記憶を辿ったが、心当たりはなかった。
ダンテとの会話を終えたのか、ドンランたちが戻ってくる。ドンランは私の姿を目に留めると、まっすぐに向かってにこやかに声をかけてきた。
「あなたが名前さんですね」
「見たところ……新入りさんですよね」
「あ、えっと、そんな感じです」
反射的に軽く会釈をする私に、ドンランは通る声でどこか楽しそうに伺ってくる。
「あなたを見ていると、入社したての頃の皆の姿を思い出します。きらきらとした瞳をしていて、けれどどこか少し不安げで……」
「ああ、不快に思ったらすみません。決してあなたが未熟に見えるという意味ではなくて。ただ、他のみなさんとは少し違った雰囲気をお持ちだな、と」
魅力的に見える豊かな表情で情感たっぷりに語り、チャーミングなウィンクを挟むドンラン。ファウストから事前にくぎを刺されているせいか、その仕草すらも演技で、何もかもを知ったうえで白々しく探りを入れられているような気がしてくる。
「はあ……」
曖昧な笑みを浮かべながらどうしようか迷っていると、「故郷のお話、いつかお聞きできると嬉しいです」少し静かなトーンでそう言ってドンランは思いのほかすんなりと離れていった。
……やっぱり、こちら側の事情を知ってるとしか思えない。ひとまず解放された安堵からゆっくりと息を吐いた。
ドンランたちに研究室に案内される。
囚人たちの何気ない会話の中で、エリートの中でも最上のエリート、としてファウストとイサンの名が挙がる。ファウストは……自他共に認める天才だからいいとして。イサンについて、きっと頭が良いのだろうと思ってはいたが、やっぱりそうだったんだと腑に落ちた。
どこか羨望を孕んだまなざしでイサンの方を見ると、ちらと目が合うが逸らされてしまう。
直後、ダンテと言葉を交わしているようだったが、なにについて話していたのかは私にはわからなかった。
……ドンラン曰く。ロボトミー支部の施設を研究所として、幻想体の研究なんかも行っていたところ、ある日唐突に武力襲撃テロが行われたそうだ。ドンランの話は真面目かと思えばどこか飄々としていてつかみどころがない。サムジョのまとめによれば、今回の依頼は、奪われた研究室を取り戻すのと引き換えにして、彼らが発見した黄金の枝の所有権を譲渡するという話らしい。詳しい手続きの方法などはもう用語が飛び交っていて欠片も理解できなかったが、信頼できる方法での取引を行ってくれるようだった。
K社の特異点技術は再生技術なのだろうか? 皆の会話を聞きながらなんとなく話の流れを掴む。どうやら、肉体の傷や欠損を補ってくれる再生アンプルというものがあるらしい。そんな便利なものがあれば助かる人もたくさんいるだろう。囚人の皆はその技術に困らされた側だったようだが……。
さらに実験室を見せてくれるというドンランの提案に、反対する人間はいなかった。
HP弾、再生アンプル。様々に呼ばれているようだが、それらの根幹はナノロボット技術であるとドンランは語る。話によれば、再生アンプルの改良自体はとっくに終えてしまって、今は食料資源の改良を行っているようだった。見上げれば、絶えず翼と足が斬られていく鶏たちの姿が見えた。ちょっと……なんというか……私の感覚としては少し、おぞましいという言葉が浮かぶ光景だった。だって、おそらくあの鶏たちはずっと……。
「……技術。否、これは単なる飼育なり」
「あの者たちは飛ぶに能うを一生知らじ」
イサンの静かな声が聞こえそちらを振り返ると、その目はドンランをまっすぐ見つめていた。反論しようとするサムジョを制し、ドンランは言う。
「普段から目さえあまり合わせなかった人が、誰かをはっきりと睨みつけるということは……」
「その分追い詰められてるってことじゃないですか?」
怖い、と感じた。その次に、この人はイサンのことを知っているのだ、と直感する。
沈黙するイサンを見つめながら、ドンランが続けて何事か言おうとしたとき、
「……研究室で何か起こった模様です」
サムジョが口を挟んだ。良くない事件が起こっているというのは明白だった。
全員がこの場を切り上げ、研究室に向かうことになる。
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