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04 翌々日、外食

「それじゃあ、いってきます……お昼は机の上にありますのでおなかがすいたら食べてくださいね」

「かたじけなし。いつほど帰るや?」

「あ、そうでした……うちは終業がこのくらいなので……大体、」

「うむ。ゆめゆめ相構へて向かひたまへ」


 ——平日。今日は仕事だった。

 もはや気は乗らないが、”いつも通り”を装うには必要な行動だった。宝くじが当たったことは、気心知れた友人たちの助言によりとにかく徹底的に隠していた。隠していたがゆえに、退職するための上手い言い訳が見つからなかった。急な理由のない自主退職はかえって怪しまれるのでは、ということで結局ずるずると、元々やる気のない仕事を惰性で続けていたのだ。

 とはいえ、何が起こるか分からないこのご時世、とりあえずでも定職についているのは悪いことではないだろう——自分に言い聞かせて、ひとつ深い息を吐いて席に着く。面接の際に見せた仮初の情熱はとうに冷めていたが、我が家で待つ者のことを思えば少しはこの退屈な仕事もやり切れる気がした。

 ……そして、私は一つの思いつきをする。


 夜を迎え帰宅する。イサンの姿を探して自室の扉を開けると、カタタタ、と聞きなれない速さのタイピング音がしているのに気が付く。

「ただいま帰りました……イサン殿?」

 少し遠くから声をかける。何かめぼしい情報は得られただろうか? イサンが振り返ったのを確認して、近寄る。

「今お時間大丈夫ですか、」

 こちらを見上げ頷くイサンを見て、私の口角が上がる。

「あの、良かったらご飯食べに行きませんか」


「折角なので良いお肉を食べましょう」

「お肉なりや」

「はい、お肉です」

 昼の休憩時に調べた結果、家の近くに良い焼き肉店があることを知った。さて空いているかな、と一抹の不安を抱きながら確認の電話をしたところ、丁度良い席が空いているようだった。やりました、の意で電話中こっそりイサンに向けて笑いかけながらピースサインをしたら、イサンは小首を傾げながら私の仕草をぎこちなく真似ていて、すこし和んだ。


 昼間よりも温かい服装をして道路に出たところ、今日はイサンの方から手を繋がれ、少し驚く。

「夜道は危ふければ」

 見上げる私に目を合わせたまま、いつもの表情でなんでもないように言われさらに驚く。

「あ、ありがとうございます」

 きっと、イサンの世界に比べたら危険はそれほどでもない、と思うが。それでも嬉しかった。


 無事、件の焼き肉屋さんに到着する。店構えがしっかりしておりつい辺りを見回してしまう。

「いらっしゃいませ」

 和風の前掛けをしたお姉さんが私たちを出迎え「履物はあちらのロッカーへどうぞ、」と促してくれる。そこで、はっとした。

「イサン——くん、あの」

「?」

「手、」

 小声で伝えるとようやく合点がいったらしく、頷きながらそっと手を離される。迎えのお姉さんににこにことその様子を見守られ、恥ずかしい気持ちになる。そそくさと靴を脱いでロッカーに仕舞う私の動きを見て、ゆるりと同じくそのようにするイサン。

「こちらへ」

 お姉さんによって、お座敷の個室へと案内される。こぢんまりとしていたが、落ち着いた黒と赤でまとめられたお洒落な一室だった。よいしょ、とイサンと向かい合わせで座り、顔を上げたところでイサンと目が合う。そこでようやく、イサンと向き合って座るのはこれがはじめてだと気付いた(これまでは斜向かいやLの字型に座っていた)。

「あー……え、えっと、メニュー、これですね」

 急な照れに視線をさまよわせ、偶然目に入ったメニューを手に取る。机の端に立てかけられた黒い表紙の細長いメニューだった。一緒に見られるような形で広げたものの、表記は日本語のみだった。イサンは読めるだろうか? 写真が一緒に載っているから、何かくらいは分かればいいと思う。イサンの方を見れば、興味深げにメニューをじっと見つめているようだった。

 途中、「これは」といくつか指をさして質問されたのでその都度答える。

「ええと、これは牛タンですね。薄く切ってある牛の舌の部分で……美味しいですよ」

「うむ。なればこれは」

「こっちは……ホルモンですね。う〜ん、牛や豚の内臓で……えっと、ぷにぷに? しててじゅわっとして美味しいですよ」

「それならば、こなたは」

「あ、それは鳥皮みたいです。鳥の……皮で、焼くとパリパリしてて……美味しいですよ」

「……名前嬢」

 私のまなざしは未だメニューに注がれていながらも、イサンの視線をひしひしと感じる。

「……はい」

「もしやそなた、食リポといふもの……苦手なりや?」

 ひそかに気にしていることを指摘され、思わず目を逸らしてしまう。

「……そ、そうですか? 皆こんなものじゃないですか?」

「……」

 視線が痛い。

「えっと、とにかく、食べれば分かりますよ! 良いお店ですし、みんなきっと美味しいですよ。注文しちゃいましょう! イサンくん、気になったものがあれば教えてくださいね」

 何とか有耶無耶にして、注文を済ませた。


 じゅうじゅうと音を立てて香ばしい煙が立ち上っている。網の上には差しの入ったお肉が行儀よく並んでいた。

「……」

 焼けるお肉を見つめるイサンの口元も心なしかうれしそうに緩んでいる気がした。

「あちち……よいしょ。はい、イサンくんどうぞ」

「かたじけなし」

「たれもおいしいし、そのままお塩で食べるのも美味しいですよ」

 はふ、と冷ましながら噛みしめれば、じゅわ、と口の中に肉汁のうまみが広がる。美味しい! 見上げれば、イサンも驚いたように口元を押さえてじっくりと咀嚼しているところのようだった。いつもはどこかぼんやりとした眼差しが幾分か輝いているように思う。

 喜んでもらえたなら嬉しい、と思った。もっとたくさん良い思い出を作ってもらいたくて私は、デザートも頼もう、と一人頷いたのだった。


230413 都市で何の肉が食べられているか分からないんですが!恐怖 動物、いるの……? ヘルズチキンって言うぐらいだから鳥はいそう イサンくんの言葉って他の人にどう聞こえてるんですかね……