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4_05 承認待ち

 そうこうしていると、ドンランが理事からの緊急呼び出しの連絡に応じるため、席を外していった。

 その間手持無沙汰に立っていると、廊下の向こうでそわそわとうろつくK社職員が一人目に付いた。職員たちにはとっくに退避命令が出ているはずだが、どうしたのだろう?

「よくご覧になってください、管理人様。危機的状況にもあんな風にひょこひょことほっつき歩いている手下が見えたのなら……」
「高い確率で有用な情報を提供する人物であるという意味です。利用するのが賢明です。」

 歴戦の軍人らしい狡猾さの窺える笑みを浮かべそう言うと、ウーティスは堂々とした振舞いで職員に近づき、声をかける。

「おい、我々は騒動を解決するために来た外部協力業者の職員だ。何があった?」

 聞けば、職員は自分たちのチーフであるシュレンヌの姿を探しているようだった。パソコンもつけっぱなしでどこへ行ったのか……と心配をしている様子だが、ここにいてはこの職員自身も危険だ。

 シュレンヌの行方について(恐らくは正直に)口を開きかけたシンクレアをごく自然な態度で遮り、「あぁ、我々が探してみよう。お前は先に退避しろ」とウーティスが告げると、職員は安心した様子で手短にお礼を言い残しその場を離れていった。 


「さぁ、シュレンヌというテロリストの手先は取り除かれたが、内部の雰囲気は怪しく、パソコンは点けっぱなしだ。完璧な戦術的優位状態だ。おまけに戦力も消耗していない。」

 なにもかもが上手くいったとばかりに、ウーティスは興奮した声色でほくそ笑んでいる。
 一方他の面々は特に気にした様子もなく、これまで手にした情報を思い返していた。シュレンヌのパソコンのパスワードは分かっている……「aitairansenpai」。彼女の想いが直球で込められたパスワードが、今は我々に味方してくれている。
 彼女は確か、ランと名乗っていた女性と密にメールをしていたはずだ。もしかしたらやりとりのログが残っているかもしれない。

「飲みこみが早いのですね。意外と……いえ、やはり……わたくしの管理人様でいらっしゃいます。」

 (その声は私には聞こえないのが残念だが)おそらく同じようなことを述べていたのだろうダンテに向かって、ウーティスが満足げに頷いた。


 こうなれば、次なる任務は社員たちに気付かれずに潜入し、シュレンヌのパソコンから情報を探るという単独任務になる。適任なのは……

「小生にお任せいただければこの度は必ず……!」

 やる気満々で声を上げたドンキホーテを通り越し、皆の視線はムルソーに集まっていた。


「復帰しました」

 ほどなくして、ムルソーが帰還する。

「シュレンヌの受信ボックスにあった読む価値のありそうなメールは一通でした。ただし、印刷するには環境が適しておりませんでしたので全部覚えてきました」

 有能すぎる。これがこの世界の標準スペックなのだろうか?
 こともなげにムルソーが言うので驚いて辺りを見渡せば、ダンテがカチ……コチ……と音をたてつつ困ったように首を傾げた。表情が確認できたならきっと苦笑いでも浮かべているところだろう。
 私の、信じられないものを見たような表情から意図を汲んでくれたのか、ダンテはゆっくりと首を横に振った。どうやら、ムルソーが特別なだけみたいだ。

 そんななか、ムルソーはその記憶したという本文を流れるように淡々と暗誦し始める。

「近頃調子はどうですか、先輩。括弧、エキュートアクセント、セミコロン、オメガとセミコロン、グレイヴアクセント……括弧閉じ。」

 律儀に記号もひとつひとつ漏らさず読み上げて……あ、これ、顔文字だ。
 カチカチ、という少し控えめな秒針の音の後、ムルソーが「分かりました。重要とは思えない記号は省略します」と答えていたので多分、そういうのは省略してもいいよ、とダンテが言ったのだろう。

 一同はしばし静かにムルソーからの報告を聞くことになる。
 結果、ムルソーは原文のまま、一言一句漏らさずメールの内容を伝えてくれた。シュレンヌの綴る、気の強い一面を持つ女性のようでありながらもかわいらしさのある文章がムルソーの低く淡々とした声色で読み上げられるのは少し……いやかなりじわじわくるものがあったが、いつしかそんなことはメールの内容に引き込まれ気にならなくなっていた。

 ……おおまかな内容はこうだ。
 今回、K社側の協力者としてリンバスカンパニーの面々――囚人たちが集められたことは、既にシュレンヌの報告により連合の知るところとなっていたようだ。メールには”それでも計画は作戦通りに進める”と記されている。
 シュレンヌたち技術解放連合は、”輝かしい過去へと戻る”ことを目的にしているようだった。いかなる技術も存在しなかった過去へ。
 そこでは翼を切られることなく鶏たちが空を飛び、腕が切られる人がいれば皆が慰めてくれ、腕がなくても一緒に生きていく方法について皆で学んでいくのだという。豊かな食べ物や文明、これまで享受してきたすべての資源はもう無いだろうけれど、何もないその場所ではきっと、一日中歩いていられるだろう、と。
 そこには、技術を失った世界で生きていく未来に対するシュレンヌの前向きな言葉が残されていた。

「飛躍的な発展を収める道に、必ず誰かの痛みと苦痛が敷かれているのであるなら……私はあらゆる豊かさを放棄します」

 かわいらしい記号が並べられた結びの言葉……その直前に綴られていた、誓いに似た一文が私のなかに重く響いていた。


 向こうから、全身を覆う強化スーツを身に纏った集団が向かってくるのが見えた。身体の所々から生えて繋がるチューブにはエメラルドの液体――再生アンプルの中身が満たされている。胸元にはKの文字が示されており、彼らもK社から来た職員のようだったが明らかにこれまで見てきた職員たちと雰囲気が違っていた。誰を見ても体格が良く動きに統制がとれていて、一目見て訓練された集団だということが分かる。

 彼らは、退避ができていない職員の情報を伝えようとするグレゴールの呼びかけを無視し上の階へと登っていった。

「彼らの目的は救出じゃありません。侵入者の除去および機密技術に対する保安を担当してるんですよ」

 理事との通信を終えいつの間にか戻ってきていたドンランが合流する。

「救助は1級たちの役目じゃないですか」

 ドンランはそう言ってウィンクをした。
 巣では数字が大きくなるほど優秀な職員ということになるらしい。先ほどすれ違っていった彼らは3級職員とのことだった。

「あっ、話がちょっと長くなりましたけど……心配することはありません、承認は無事貰えましたから」

 急にドンランが”承認”について言及しはじめるもいまいち話が見えない。
 どういうことかと思えば、どうやら鑑賞室なる部屋にドンベクが向かっており、ドンランはそこに足を踏み入れるための承認を取り付けていたという。なんでもそこは保安手続きが大変にややこしいらしく、セキュリティの厳しさがうかがえた。

 場所は研究室の一番上。

「そもそも……接近させづらくするなら、二択しかないじゃないですか。地下に隠しておくか、一番上に置いておくか」

 K社の場合は……前者だったということだ。

 ……もうしばらく階段を上り続ける必要があるようだ。自分の運動不足を呪いつつ、息をひとつ吐いて気合を入れ直した。



240812 なにもかも読み上げてくれるムルソーさん……