鑑
01 出逢い
ついに私にも、見えてはいけないものが見えるようになったか、と思った。
老いた親戚の終の棲家となった一軒家を引き取って暫く経った頃、気まぐれに買った宝くじが当たった。突如として手に入ったのは、節制していけばその額だけで一生を暮らしていけるだけのお金だ。浮かれる私の頭を、だがしかし一気に冷ます出来事が、他でもない自宅で起こった。だから、——出たのだ、と思った。
暗がりに立つ細身の男。前髪は長く、その表情は影になって窺い知れない。なにかの制服に似た黒衣を身にまとったその青年の左太ももには、浮世離れした短剣が納められていた。
何気なく開けた寝室の扉、その向こうにそんな影がぼんやりと立っていれば、息をのむのも当然だろう。夜中に近い時間、大声で叫ばなかった己の冷静さを褒めたい。
「、」
青年が口を開く前に、「——幽霊、」私の口からはそんな言葉が零れ落ちていた。
「……イサン」
「……?」
「……我が名はイサンなり。幽霊にあらず」
古風な、というにはあまりにも古風な話し方で、その青年はイサンと名乗った。
「え、あ、ご、ごめんなさい」「えっと、どうして私の家に」
「……鏡より来たれり」
明らかに腰が引けている私の無防備な様子に警戒を解いたのか、短刀に掛けていた手を下ろして、イサンは部屋に置いてある大きな姿見を指さした。その姿見は元々この家にあったものだ。かなりの年代物だと聞いてはいるが、価値としては二束三文らしい。そんな鏡から来た? おとぎ話のような話だったが、イサンと名乗る青年の恰好も格好だ。私はとりあえず話を聞いてみることにした。
「……という経緯なり」
「なるほど……?」
イサンの話はこうだ。リンバスカンパニーなる会社に所属している彼らは黄金の枝なるものを探して”都市”を巡っていたのだという。そんななか、鏡ダンジョンなる不思議な空間で一人皆からはぐれてしまい、合流しようと歩いているうち、気付けばある一つの鏡を通った結果この部屋に出たそうなのだ。帰ることを試みたが、やって来た入り口の鏡はすでにただの鏡となってしまって戻れないという。落ち着いた声色で流れるように語られると、信じざるを得ない気分になってくる。
「急ぎ帰還せねばと思えど、こうなっては如何ともしがたし」
「大変ですね……」
突拍子もない話過ぎて、毒にも薬にもならない安い同情の言葉しか出てこない。
なぜかお互いフローリングの上で正座で話をしている。話を、と胡坐をかいたイサンに倣って私も正座をした結果、それを見てイサンも同じように正座に座りなおしたためだった。そろそろ慣れない姿勢に足が悲鳴を上げ始めている。
「あの」
「うむ」
「……よかったらなんですが」
かなり殺伐とした世界で生きてきたと思しき彼だが、初対面の相手である私に刀を抜くことなく会話を試みてくれた。そんなイサンが、このまま外に一人で放り出され銃刀法違反で捕まり警察で何らかの考えうる酷い扱いを受けているところを想像するとやはり寝覚めが悪かった。行くところもなかろうと提案をしたのが、元の世界に戻れるまで私の家に滞在しても構わない、というものだった。
「助かる。しかし、汝には利得なき提案と見えるが、如何に」
「それは確かに……なんですが、強いて言えば私の良心が痛むので、ですかね……」
言いながら、少しよろめきながら立ち上がる。
「臨時収入があったので、今の私、ちょっと気前がいいんです」「それにイサン殿、良い人そうですし」
それを聞いてか、イサンの東洋風の、それでいて少し見慣れない顔立ち——その口元が、にこりと笑みを形作った。
「”鑑”哉」
「?」
「私は幸運なり」
恐らく、褒められているのだと思う。喜んでもらえたようで私も嬉しい。
「そなた、名は何と言ふや?」
同じく立ち上がったイサンが訊ねてくる。
「名前です」
「名前嬢」
嬢!? 呼ばれ慣れない敬称に目を見開いてしまう。
「何か便なきことあらむ?」
「いえ、特に不都合は……そう呼ばれたことがなかったもので、驚いて」
「然らば、良し」
口元に薄く笑みをたたえたイサンを見上げる。室内灯に照らされたその姿は不思議と、透き通るような白い肌のせいだろうか、そこにいるようで実体が伴わないようにも見えた。
「あ、えっと。これからよろしくお願いします、イサン殿」
「うむ。よろしく頼む、名前嬢」
お互い深々と一礼をする。
「あっ寝床」
部屋はかなり余っているが、寝るところは布団で大丈夫だろうか。
「床にも構はず」
なんでもないように言うイサンにまたぎょっとする羽目になる。そういえば目の下のクマが酷い。日頃からちゃんと眠れているのだろうか?
「イサン殿はお客人なんですから! 床でなんて寝かせられませんって!」
……こうして、私とイサンとの奇妙な共同生活が始まったのだった。
230406 気付いたら完成していました E.G.O引けましたありがとう